お知らせ

過重労働による健康障害防止対策の理解の理解のために

産業保健情報誌「よさこい」2005.9月号より

高知産業保健推進センター相談員

高知健診クリニック院長 坪崎 英治

 平成14年2月に厚生労働省労働基準局長名で出された[過重労働による健康障害防止のための総合対策]というタイトルの通達があります。その内容を要約しますと、業務による脳、心臓疾患の発症防止をする必要があり、そのためには疲労回復のための十分な睡眠時間又は休息時間が確保できないような長時間にわたる過重労働は排除せねばならない。またこのための健康管理対策の徹底と、発症した場合には再発防止措置の徹底が必要である。本文はこれだけで、あと別添えで時間外労働を月45時間以内にすること、超過した場合には月80時間と100時間にわけて事業主の講ずべき事後措置が記されています。内容は簡素で判り難いところもありますが、平成7年頃からわが国で矢継ぎ早に出されてきました幾つかの労働衛生対策の中で、その集大成ともいえる重要な位地を占めていると思われるのです。それ以前のものはここにターゲットを絞って、一貫性をもつて慎重にたどられてきた下準備のようにすら考えられるのです。
それだけにわが国の今後の労働界、経済界、ひいては国民生活そのものにも広く影響を与える可能性があり、産業衛生に携わる者としては理解を深めておく必要があると考えられます。

これまでの労働衛生対策

平成8年に労働安全衛生法が改正されて、労働者の定期健康診断が必須のものとして法制化されました。その後11年に検査項目が追加して増やされ、さらに13年には二次健診の費用給付が決まるなど一層の充実化がはかられました。ここで注目されるのは追加されました検査項目や、二次健診項目として指定されましたものが全て動脈硬化の進展による心及び脳血管障害の発病防止に資するものばかりだということであります。この際、肺も消化器も肝臓も運動器も対象とされていません。循環器疾患のみがターゲットとされているわけです。

脳心事故に労災認定の途が

過労死の労災認定については平成7年に[脳血管疾患および虚血性心疾患等の認定基準について]が改正され、死亡前日あるいはせいぜい一週間以内程度の近い範囲で生じていた、死亡事故が起きても不思議でないほどの激務が明らかにあれば、これを異常な出来事としてその因果関係を認めていました。その後出ました最高裁判例などがきっかけとなり、さらに13年12月に改正され、異常なほどの激務でなくても長期間にわたる疲労の蓄積等があれば、これも発症起因として評価することとなりました。

同通達に述べられている基本的な考え方によれば、負傷に起因するもの除いた脳、心臓疾患は、本来ならばその発症の基礎となる動脈硬化などの血管病変が、本人の長い年月の生活の営みの中で形成され、それが序々に進行し増悪するという自然経過をたどり、結果として発病に至るいわゆる私病とされるものであります。

しかしながら、業務による明らかな過重負荷があると,血管病変等は通常の自然経過を超えて著しく増悪することがあるので、その防止対策を講じることの必要性を述べ、あるいはその結果として、脳心臓疾患が発病した場合には業務起因を相対的にみとめるというのが基本方針であります。

すなわち従来は全て私病であり自己責任とされてきた心臓と脳の事故つまり狭心症、心筋梗塞、脳卒中の一部が、基準に合致すれば労災認定の対象とされるという我国としては画期的な判断となったのです。

ちなみに脳卒中や心筋梗塞を脳心事故と呼ぶことがありますが、これは通常の事故とおなじく、避けたら避けれたかもしれないというニュアンスが含まれていると考えてよいでしよう。

対象とされる疾病

さきに述べたように脳と心臓疾患のみを対象としています。このさい肺も肝臓も消化器も無視されています。

  • 脳血管疾患
    1.脳内出血
    2.くも膜下出血
    3.脳梗塞
    4.高血圧性脳症
  • 虚血性心疾患
    1.心筋梗塞
    2.狭心症
    3.心停止(心臓性突然死を含む)
    4.解離性大動脈瘤

認定の要件

平成13年度通達による労災としての認定要件は下記の三種のいずれかがあった場合であります。

すなはち

  1. 発症前の職務に発生した「異常な出来事」
  2. 発症前に近接した「短期間の過重業務」
  3. 発症前の「長期間の過重業務」

にわけて検討するようになっています。また業務の過重性の評価にはそれぞれ詳細な例をあげて判断の基準をしめしています。しかしながら詳細なだけに複雑すぎて運用し難い、あるいは判断当事者の個人的主観の入り込む余地があるなどの意見も出てこざるを得ないようです。

このためか僅か2か月後の平成14年2月に、この過重労働による健康障害防止のための総合対策についてが更に追っかけて出てきたのです。

過重労働とは何をさすか

この平成14年度通達では過重労働とはなにを指すかの判断の物差しを従来のものに加えて、というよりはいささか無視して、職務の内容やハードさとは取あえず無関係に、労働者本人の日々行っている時間外労働の月間累計数でもつてすることに、単純に定めたところに眼目があります。

いわゆる所定労働時間は労働基準法32条により、本来週40時間までと定められています。これを超えて延長する場合には、労働者代表との間に法36条に基ずく協定を結び実施する必要がありますが、これも年間累計150時間までとなつています。これ以外は時間外労働、つまり残業ということになるわけです。

すなわち今回の認定基準では、脳と心臓疾患を発症させるような過重労働とは、労働者本人に疲労を蓄積させるような長時間の時間外労働であると定めたのであります。

このため本通達では所定労働時間をこえる残業時間数が、月間累計で45時間以内となるように強く求めており、それを超えた場合の事業者の講ずべき責務を具体的に述べています。つまり月間累計45時間を超える時間外労働があつた場合これを過重労働と認定しているのであります。

過重労働が生じた場合の事後措置

まず月間45時間を超え80時間までの残業が生じた場合には、爾後は45時間以内に、それも可能な限り最小限なものにする必要があると定めています。過重労働が行われている可能性のある該当事業所には、労基局から監督指導等の行政指導が行われることもあります。

事業者は該当労働者の残業時間数や作業環境と、過去の健康診断結果などのデーターを産業医に提出して、その指導を求める必要があります。

月100時間を超えることが一回でもあったり、続けて2か月、あるいは連続でなくても過去6か月の平均月間時間外労働が80時間を超えた場合には、さらに当該労働者を上記情報を添えて産業医に面接させ保健指導を受けさせる必要があります。

この際産業医は当該労働者に脳、心事故の危険性を察した時には、それを裏付けるために必要と認めた検査を受けさせるよう指示します。事業者はその検査結果に基ずいた産業医の意見を聴き、事後措置を行うことになります。

事後措置の内容としては例えば残業は禁止する、月45時間以内に制限する、配置転換をする、受診治療の便宜をはかる、あるいは休業させて治療に専念させるなどです。

脳心事故との関連性の医学的根拠

脳心臓疾患の発症と、過重労働としての長時間労働との間の関連性についてはどのように理解したらよいのでしょうか。

脳卒中および心筋梗塞の発症には、当然のことながら個々人のそれに至るまでの病歴や遺伝的素因も複雑に絡まりますから、個人差も大きく、単純には理解し難いところもあります。しかしながら我国には以前から過労死という言葉がありますが、これには伝統的な長時間労働と、仕事が生活の中心とする風習が深く拘わっています。1970年代には「過労死110番」なる言葉も出来るほど新聞紙面を賑わしていました。

このKAROUSI(過労死)なる用語は勿論日本語ですが、他に適当な訳語もなく、そのまま世界共通語として用いられているほど我国との関連が深いのです。

過労によってのみ人は死亡するのかという疑問は当然のことですが、多くの人々には高血圧や動脈硬化症などが基礎疾患としてあり、その上に過重な労働があるとそれを著しく悪化させ、脳心事故を突然死という形で発症させるものと考えられるのです。高血圧にしても、その結果として生じている動脈硬化にしても自覚症状の乏しいことが多く、本人の病識のないところの突然死ですから労災訴訟に発展することも多くなります。この過重労働と脳心臓疾患の発症あるいは突然死との因果関係にかかわる疫学的調査とうの研究論文は枚挙のいとまもないぐらい数多く発表されております。

これらを踏まえて、この平成14年度通達ではおおむね6か月程度の長期間にわたり、労働時間などを指標にして、過重負荷があつたかどうかということを判断することに結局なったのです。

いま何故過重労働なのか

いまなぜ過重労働なのか、なぜ脳心疾患が重要視されているのか、この疑問を解くためのキーワードは[健全で充分な量の労働力の確保のために]ということになります。

ご承知のようにわが国では世界に類例のない速さで高齢化社会に突入しています。今や男性の半分は80才を超え、女性の半分は85才を超え、4分の1は90才を超えて長生きしています。一方高齢化社会は必ず少子化という現象をセットとして伴います。これを象徴する言葉として合計特殊出生率1.29ということがあります。即ち現在の日本女性一人あたりの生涯平均産児数が1.29人ということです。夫婦二人でこの数ですから、このままだと2050年には現在より3000万人の減少が到来すると見込まれています。早くも2007年にはいわゆる団塊の世代が60才の定年に達しはじめますが、この年日本で労働可能な生産年齢人口とされている15才に達する人達は60才のそれの約3分の2しかいません。総人口の減少よりもこの生産年齢人口の減少のほうがより深刻なのです。
日本の国力はこのまま人口減に見合って衰退していつて良いのでしようか。これにたいする対策としては出生率の改善策を講じる、女性労働力の更なる活用をはかる、外国人労働者の移入を行うなど考えられますが、いずれも限界のあるものなのです。ここにクローズアップされてくるのが定年を延長して、高齢労働者に頑張ってもらうということです。

すでに平成16年に定年延長法が国会を通過しています。しかしながら人は加齢と共に多病となります。そして人は血管とともに老い、血管とともに死すという言葉どうり動脈硬化がその主体となります。これまで述べてきたように過重労働による健康障害が最も出やすいのが動脈硬化から派生する循環器疾患なのです。ここに本通達のでた要因があると思います。

今なぜ脳心臓疾患なのか

いま日本人の疾患別死因統計を見ますと、一位はやはり癌で、全死者の30%を占めています。しかし二位の心臓疾患と三位の脳疾患を合計すると31%となり、癌をこえて多いのです。さらに40才代で心筋梗塞や脳梗塞が発生するなど、比較的若年者で発病することもあり、この場合長期のリハビリや介護を要することも多いのです。この際本人と介護要員の併せて二重の労働力の損耗が発生することも考慮せねばなりません。

また必要となる医療費も患者数が多いのと長期に渉ることが多いので、国の経済に対する圧迫要因となります。現在日本の老人医療費の約40%が循環器疾患に費やされています。これにたいして癌のそれは約10%ぐらいです。

このように見てまいりますと、脳、心臓疾患等の循環器疾患対策がいまや焦眉の急を要する問題となつていることが理解できます。本年中には業務によるストレスに起因する脳、心臓疾患等の健康障害防止対策の新指針が追加されるとのニュースもあり、さらに重要性はましてくるものと考えられます。

以上

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